2000年「かつらの世界に飛び込む」


10年間の歩みをエピソードとともに振り返ります

2000年「かつらの世界に飛び込む」

代表の宮崎は、1995年よりホームページ作製やブログラム作成をSOHOにて行なっておりました。 しかし、思うような収入は得られず、1人きりでの作業にも限界を感じていました。

1人切りというのは、とても心細く、収入も不安定。未熟さゆえ失敗も重なっていました。振り返ると、この頃が精神的にも 経済的にも一番きつい時期だったようです。

2000年は、ITベンベンチャーが竹の子のように次々出てきた時期です。支援付きのインキュベート施設への入居者募集があり、「これだ!」と思い応募。それまで温めていた起業プランを提出して、幸運にも数十名の応募の中で5名のうちの1人に選ばれたのでした。

そんな訳で、最初はインキュベート施設に入居して、福岡の一等地である天神に事務所を構えました。

初めてのことで、不安だらけ。右も左も判りません。銀行との交渉なんて何を言えばいいのか・・。なんとか作った帳簿を見せると、「ちゃんとした経理の人がいた方が良いですよ」と呆れられたことも(恥)。

しかし幸いにも、宮崎はとても良い方達との出会いに恵まれていました。色々な方との出会いや助言に、どんなに助けられたことか。

起業のきっかけにもなった恩人がいます。その方は、元中小企業診断士でそのときはすでにリタイアされていらっしゃいました。インターネットが普及してきた時期に出会ったため、「パソコンやインターネットについて教えてくれれば、お返しに経営指南してあげましょう。と言ってくださったのです。

資金のない者にはありがたいお言葉でした。この先生のお陰で、福岡の有名な会社の経営者が集まる勉強会にも参加させて頂けるようになりました。何の実績もなく人から見たらフリーターでしかない宮崎。とても肩身が狭く、小さくなっていましたが、お陰様でとても勉強になり、人脈も広がりました。

そしてある時、その恩人の先生から「HP作製やIT関連のことを色々を教えてやってくれないかなあ。」と甥っ子さんを紹介されました。

孤軍奮闘し、自分ひとりを支えるおでさえ四苦八苦していた宮崎に当時は余裕があるわけもなく、当然すぐさま実務の実戦となりました。勉強もしながら、スタッフとして仕事を手伝うようになったのが、恩人の先生の甥っ子である久松でした。

また、ちょうどその頃、東京の携帯電話会社勤務時代に同期生だった大野が、偶然にも結婚を機に福岡に移り住んで来たのです。

起業が形にならずもがいていた宮崎は、その日に久しぶりにあった大野に「お願い!手伝って!!」と思わず懇願したのです。

ロック少女だった彼女にとって博多は聖地のような場所らしく、東京勤務時代にも何度か宮崎の実家へも遊びにきていました。博多の街をとことん気に入り、「福岡に住みたいな」などと言ってましたが、本当に現実になるとは…。

こうして、社員2名は一緒に歩くことになったのです。

実は、スタートしたときからカツラを扱っていたのではありません。販売促進のための仕組みを構築する事業をしようとしていたのでした。

そして、それを実証するため、コーヒーやお茶等いろいろな商品を販売代行するようになっていました。

また、3人が食べていくためにホームページの作製の仕事も行っていました。

インキュベート施設では、家賃が無料な分、重荷となるものが多々ありました。

まず、法人を立ち上げることが要求されていました。当時は、まだ法改正の前で、有限会社は資本金が300万円、株式会社は資本金が1千万円が必要でした。食うや食わずでやってきて、そんな大金がある訳がありません。

必死で資金をかき集め、やっと有限会社を立上げました。それが「あみネット」という会社です。

当時は販売代行という形で、色々な商品を扱っていて、実は、かつらもその中のひとつでした。

本当のところをいうと、当初はかつらを扱うことに正直に言って迷いがあったのです。一般的な商品と違って、かつらはとてもデリケートな商品です。かつらに対してはなんの知識もなく、触ったこともない者にとっては、想像を超えた世界だったからです。

かつらに対しては、素人にはできないよといって周りの誰もが反対しました。

わりと行動力はあるのですが、実は宮崎は小心者。本格的に起動して良いものか二の足を踏んでいた時に、ある知人から、「僕の妹がかつらを長年使っているユーザーだから、インタビューしてみたら」と紹介して頂きました。

その妹さんは、鼻の手術後に何故か円形脱毛症になり、一気にすべての頭髪が抜けてしまったそうです。一時的なものだろうと、最初はバンダナを巻いて過ごしていましたが、しばらくしても髪は生えてこず、職場の友人達から「見ている私達がつらくなるから、お願いだからかつらをつけて!」と言われたそうで、大手メーカーの門を叩くことになったそうです。

一個が80万円。二個同時に買うことを薦められたそうです。それからは、高額な支払いに追われ、自分の稼ぎの半分くらいはかつらに費やしていたとのこと。ゆうに500万円はかつらに使ったそうで、まるで「かつらの為に働いている」ようだったといいます。

「私のように困っている人は沢山いるはず。自然なかつらをインターネットで安く提供できるなら、是非、あなたにやって欲しい!絶対に喜ばれるよ。」と熱く勧めてくれたのです。

大手メーカーの同行などは調査や勉強をして少しは知識を得ていたものの、迷いのあった宮崎。しかし、この言葉で、すべてが吹っ切れたようです。「やるしかない!!」

宮崎がこの方と出会わなかったら、今のウィズもなかったかもしれません。

それからは、かつらに関しての勉強・調査・HP作り。ヘアショップ開拓。やることは山積みでした。

当時は宮崎と大野、久松は必死ではありましたが、今思えば、かつらに関してなんとも乏しい知識でお客様の問い合わせにお答えしていたと、申し訳ない気持ちになります。

当時は他社製品のご利用者がほとんどでしたので、お客様から教わることの方が多かったような気がします。

インキュベート施設のコンサルタントの方とは、定期的な面談がありました。かつらを取り巻く状況や他社との比較、そしてウィズの方針を報告。

その際、「大手がそんな高額で売っているのなら、ウィズも30万~50万円で売りなさい!」と言われ、ウィズのあるべき姿を全然解って貰えませんでした。上場できる位儲けて、会社を大きくする気がないのなら、インキュベート施設にいる資格はないといった感じです。

このインキュベート施設のコンサルタントの言う通りにするか、この施設を出るか・・・選択を迫られました。

お金の支援は一切なかったものの無料の事務所は失いたくないとは思っていました。しかし、魂を売り渡すことはできません。残された道はひとつ、自分達自身で挑戦していくことでした。

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